« 解散総選挙で困るのは誰か | トップページ | 鉄骨飲料の思い出 »

2011年3月 4日 (金)

安く買うこと、飢えて死ぬこと、生き延びること

 togetterまとめ「漫画家が飢えて死ぬか、読者が飢えて死ぬか。」

http://togetter.com/li/105692

でちょっと考えさせられたので、メモ。

 上記を要約すると、

  • 漫画家の先生が、違法なネット上のマンガをタダで消費して喜んでる人は漫画家とマンガを長期的に殺してるんだ、と批判(ごもっとも)
  • それに関連して「僕は古本屋で買ってるんですが・・・」という読者登場
  • (漫画家に金が入らないことは同じだから)「何失礼なこと言ってんだ」の批判
  • その後曲折があり、違法アップロードと古本はまた違わない?という指摘もあり・・・

 そこからさきはいろいろな議論が出て、ほかのまとめも生まれていますから興味のある方は見てみてはどうでしょう。

 さて、本件で私がちょっとハッとしたのは、著作者に向かって「あなたの本を古本屋で買いました」というのが失礼かなんて考えてもみなかった、まあそういうシーン自体を考えてもみなかったけど、失礼だという感覚は正直なかったなあ。しかし、確かに言われた方はいい気分はしないよね。「読んでくれるのはうれしい、ただ極力私に印税が入る方法をとってほしい、まあそう言うと強欲みたいだから言えないけどさ」という感じを持たれるんでしょう。いやはや、何年生きても勉強になることはありますね。

 この話はいろいろなテーマを内包しているような気がするので、ちょっと以下のような問題を考えてみました。

<問題>

「ほしいものを別の方法で安価に手に入れる」以下のようなケースについて、以降の問題に答えなさい。

  1. ある本を買おうと思ったが、古本屋によったら新刊で買うより安く売っていたので購入。
  2. ある本を読みたいと思っていたところネットに無料で落ちてた。ありがたく読んだ。
  3. 吉野家に行こうと思ったが、次週から100円引キャンペーンなので、待つことにした。
  4. 明治のチョコレート、駅前のスーパーより近くの百均で安く売っていたので、こっちで買った。
  5. 隣町にこだわりのつけ麺屋があり、なかなかおいしい。ただちょっと高いので、ランチでしか食べない。
  6. イギリス製のアンティーク家具を世田谷の古道具屋でけっこう安く買った。
  7. 鰹の刺身がちょっと高かったので、閉店前20%引きのシールが張られるまで待ってから買った。
  8. 好きなアーティストのライブに行く金がなかったが、後日ライブを録音したCDが出たので買った。
  9. 好きなアーティストのライブに行く金がなかったので、友達にこっそり録音してもらった。
  10. 路上でかわいい手作りアクセサリーを売っていた。ちょっと高かったので値切り交渉して、2割引になった。
  11. ヤングジャンプを買う金がなく、せめてグラビアだけ…ということで友達にそこだけ切り取って売ってもらった。

(問題1)上記1~11のうち、別の方法をとったことで、もともと欲しいものより価値の低いものを得ることになるのはどれか。

(問題2)上記1~11のうち、法的に問題があるのはどれか。

(問題3)上記1~11のうち、他者の利益を毀損する、あるいは他者に損害を与える可能性があるのはどれか。

(問題4)上記1~11のうち、提供者・製作者の名誉を傷つけると考えられるものはどれか。

(問題5)上記1~11のうち、あなたが「許しがたい」「問題はあるかもしれないが許容できる」「問題ない」と考えるものはそれぞれどれか。また、それはどのような判断基準によるものか。

 ゆるい設問であり、そもそも答はひとにより結構違うかなとは思います。ちなみに11.は中学の時に友人がやっていました。まあ、答を考える過程でいろんなことを考えられるかなあと思い書いてみました。

 私の答を書いても面白くもないので書きませんが、考えたのは以下のようなことです。

1.古本屋の存在は不当か?

 「不当だ」という立場をもうすこし丁寧に言うと「新刊書を買えば印税として著作者の利益が生じたのに、古本を販売することでその機会利益が失われている」ということです。
 一方で今の法律上、古本屋の業態が違法となっていないのは、あくまで著作者への利益は新刊書の発売時に発生するものであり、それ以降に流通するつど利益がもたらされるものではない、という整理なんでしょう。一見、古本屋がほんらい著作者が受け取るべき利益を横取りしているように見えるかもしれませんが、古本屋はあくまで流通業者なので、(売値‐買値)の利鞘を、著作物を手放す人と欲しがる人の間で仲介し運搬する対価として得ていると捉えるのが自然です。
 私は法律はずぶの素人ですが、これはこれで一つの考え方で筋が通っていると思います。そもそも図書館があり友人同士の回し読みがいくらでも存在する中で、新たなユーザーに著作物が与えられる都度、著作者に利益が発生するというのは無理のある話ではあります。
 ただし、その一方で、著作者に利益が発生しないケースが増えれば結果的に著作者は痩せ細り新たなコンテンツの芽を摘むことになるのも十分にあり得ることです。逆に古本屋が廃刊本の供給源、あるいは過去の著作物を流通させることで、結果的に新刊の販売促進にもなることは考えられますが、プラスマイナスどちらに効くのかは、よくわからない。楽観的に考えるのは危険でしょう。

2.古本屋で買うことは著作者の生活に損害を与え名誉を傷つけるものか?

 「生活に損害を」は1.と同じ話ですが、問題は後半。なぜこんな問いを立てたかというと、最初に言ったまとめのなかで「古本屋で買うということは、本来なら新刊書の価格だけの価値があるものを、もっと低い価値しかないと宣言しているのに等しい(意訳)」という意見があったからですね。これは正しいのか。もっと引き付けていうと、あなたが古本屋で本を買おうとした時に「この本は中古価格で買う価値はあるが、新刊の価格の価値はない。だからここで購入しよう」という判断を、しているかどうか。
 …ケースバイケースでしょうね。昨今は「価値のないものをタダで使って何が悪い」と居直るネットチンピラもいるのでクラクラはしますが、一般論を最底辺に引き付ける必要もないでしょう。ただ、もともと著作物の価値というのは価格に換算しがたいものなので、どちらかというと「ほしいものが安く買える、ラッキー」というのが普通の反応じゃないでしょうか。

 だがしかし。それはあくまで買い手目線での話で、著作者から見れば「新刊で買う価値ないってか」と思うことも当然ありえます。なので最初に書いた通り(私じしん勉強になったとおり)、著作者に大声でいう話ではない。

 著作物が他の商品と較べて独特なのは、その内容および価値が著作者の人格と分かちがたく結びついて考えられるので、市場原理で決まる取引価格の決定が、そのものの価値=著作者の人格評価と感覚的につながりやすいことですね。それが本当は全く別の話なのは、たとえば村上春樹の過去の文庫本が古本屋の100円コーナーで売られていたとして、「ああ、村上は結局100円程度の作家なんだな」と思うかどうか、想像するとわかると思います。でもまあ、モヤモヤはするよね。

 もうひとつ別の視点で、じゃあ作り手の人格が見えない商品なら買い叩いていいのか、思いは無視していいのかという議論もあります。もとのまとめでも、書籍は著作者だけでなく印刷、製本、取次、書店等が全員協力して消費者に届けている商品であり、それを忘れて著作者が「私の」商品の価値なんて言いっぷりはおこがましいんではないか、という指摘がありました。さっきの問題のケースで言えば、スーパーの食材を極力安く買いたいというのは価値を認めていないのか。チョコを安く買うとき、コートジボアールのカカオ農場で働く子供たちのことをどう考えればいいのか。

 等々、議論はありますが、正直なところ、欲しいものをより安価に手に入れたいというのは消費者心理として当たり前なので、古本屋の業態を認めた時点で、いい悪い以前に「そうなるよりほかはない」です。

3.漫画家が、マンガを供給することで生活するにはどうしたらいいのか

 さっきの1.2.で私が言いかけたことをまとめると、

  • 古本屋や、その他の形態で消費者同士の間に著作物が流通するたびごとに著作者に利益がもたらされるべき、というのは気持ちはわかるけど、無理じゃないのかな
  • あるものを安く買うということとその価値を評価することは(実態として)別議だし、ましてや消費者に(適法な範囲で設定された)安い価格を選ぶべきではない、というのはまったく実効性をもたない主張に思える
  • ただし、上記2つを肯定してしまうと、少なくとも可能性として著作者が食えなくなってしまうケースが想定される。

 なので、これは困ったことだなあ、というのがこの瞬間の私の立場です。

 ここから、ちょっと丁寧になぞります。
 もともと古本屋も図書館も友人の貸し借りも、遠い昔からあって、その中で多くの著作者が生きてきました。だからそれらの存在は正しい、というのはいくらなんでも短絡的で、そのせいで著作者の収入が減ったことも潜在的にはあったんでしょう。最終決算として食えない人は退出し、生き残った人は生き残った。古本屋の存在は、少なくとも文学やマンガを全滅させるほどの力はなかったということです。
 ところが、インターネットの普及でその様相が劇的に変わりました。ネット上での(無料の)コンテンツ共有は、位置取りとしては「友達同士の貸し借り」に近いものです。ただ、これが脅威なのはごく手軽に、内容の劣化なしにいくらでも複製ができてしまうことです。そのために「友達あるいはネットの向こうの誰かに借りられるから自分で買わなくてもいいや」という層が大量に生まれてしまいました。法律を考慮しなければ、あるいは法律で罰せられる期待損失より無料でコンテンツを消費する便益の方が大きければ、消費者がそれを選ぶことは必然的です。

 もし、過去に「古本屋の存在により、このままでは多くの著作者が食えなくなり、コンテンツ全体が衰退する」という現象が発生したら、社会は古本屋の存在は認められない、と判断するでしょうか。
 まあ仮定の話でなんとでもいえるのかもしれませんが、私はそれは難しいと思います。この場合、古本屋は自分の生活を守ることを通じて結果的に(市場を通じて)著作者の仕事を脅かしていますが、意図をもって市場の作用以外のところで他の事業を営む者の仕事や利益を阻害しようとすることは許容されないでしょう。それと同じで、著作者が自分の生活のために他の事業者の仕事を認めない、ということはできないと思います。もし認められるとしたら、公共の福祉向上、文化の発展のためにはコンテンツが安定的に供給されることが必要であり、そのために特定の事業は規制する必要がある、という考え方でしょう。
 そのことがいいか悪いかは長い話になりそうなので立ち入りませんが、このように市場メカニズム以外のところで調整をしないと著作業が続けられなくなる事態が起こっているとすれば、それは、マネタイズと言ったりビジネスモデルと言ったりする、既存の<著作という活動とその対価による生活の維持を併存させるスキーム>が崩壊している、ということです。

 そして、それがネット上の複製コンテンツの氾濫によって起ころうとしている(ように見える)現在、どうやって「著作者が著作を続けられる状態を維持できるのか」が、問題の核心です。

 随分ゆっくりと当たり前のことを書いてきましたが、じゃあどうするんだと。

 前の方でも似たようなことを書きましたが、現に消費者の前に選択肢がある中で(著作者の生活を維持できるという観点で)道義的に正しい方法を選ぶべきだ、という「べき」論は実効性を持たないだろうと思います。なので、こうなってしまっていることを相当程度前提としたうえで、新たな仕組み、マネタイズの方法を構築するしかない、というか、いずれそういうことになるんだろうなあと予想します。

 どういう方法がいいですかねえ。
 もし、ストレートにとにかく著作者が生きていける、著作を続けられることを目標にするのであれば、寄付に近いモデルが明快でいいと思います。これだと、それこそ評価と収入が現実に一致してお互いやる気がでるかもね。ただ、それって実質同人誌に近いモデルになるのかな。持続的にかつ大規模で維持できるのか不安。
 その他には、ちょっと前のチョコの話で思いついたんですが、フェアトレード的な考え方で、著作を世に出すのにかかるコストに見合った「適正な価格」付けをルール化するという考え方もあります。ただ、現実問題として国際関係や独裁政治によって「不当に低い収入を強いられている」わけではないので、モラルハザードが発生しそうかな。

 その他にも、それこそネットの普及のおかげもあって多彩な広告モデルやフリーミアム等、マネタイズの手法自体は色々あるので、これから数十年かけて妥当な方法を模索していくことになるのかもしれません。

 結論にはたどり着きませんでした。これから、またこのテーマは気にしていくことになると思います。とりあえず、ボルドリン=レヴァインの『<反>知的独占』でも読んでみるか。

〈反〉知的独占 ―特許と著作権の経済学 Book 〈反〉知的独占 ―特許と著作権の経済学

著者:ミケーレ・ボルドリン,デイヴィッド・K・レヴァイン
販売元:エヌティティ出版
Amazon.co.jpで詳細を確認する

« 解散総選挙で困るのは誰か | トップページ | 鉄骨飲料の思い出 »

考えごと」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 安く買うこと、飢えて死ぬこと、生き延びること:

« 解散総選挙で困るのは誰か | トップページ | 鉄骨飲料の思い出 »

2018年10月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

twitter widget

  • twitter widget

他のアカウント

無料ブログはココログ