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2011年2月21日 (月)

壮大な茶番の先には何が待っているのかな

 先週あたりから関連のニュースが目立ってきて本格的に春闘の季節ですが、本音を言えば労働組合に何かを期待しているひとの層というのは限りなく薄くなっているのでないか。私も日頃一部は組合に関連した仕事をやっているのであまり言いたくはないけれど、みんなもそう思うでしょ。

 労働組合に常に漂う残念感は、一義的には目的の達成に向けた最適化がまったくできていないように見えることにある。が、もう少し掘り下げると、労働市場の構造変化にキャッチアップできず実質的な政治力・交渉力を喪失している…とはいわないけれど、かなり弱体化していることと、不要ないし非効率な運営プロセスが、二重写しになって悲しい図像が浮かんで見える。非効率の内実は、市場競争および外部からの批評にさらされない組織の常ではあるけれど、エラー・リスク回避のための過剰な事務処理、陳腐化し不要になっても廃棄できないプロセスの残滓…といったところなんでしょう。
 なんにしても、トータルでは人数だけは大量に動員しちゃって、壮大な茶番という印象だけが毎年残る。もっとも、茶番が茶番でいられるのは組織の維持が自己目的化していることの陰画で、そっちの方が前景化されないだけ、より根深い問題なのかもしれない。

 ソーシャルメディアは本質的に草の根・無中心的である労働者の活動に(企業活動よりはるかに)向いているのではないんだろうか。というか、そんなことをみんな言ってるんじゃないか・・・とおもって検索すると、なんだか低調な記事しか出てこない。まあ、求心力が失われている組合が新たなメディアを立ち上げたら盛り上がるというものでもなくって「社内でSNSを立ち上げたんですが、いまいち活性化しないんですよ」というような話なのかな。そうは言っても、いずれはそもそも組織化されていない、文字通りのgrass rootsから新しい形の労働運動が自然と生まれてくる、ような気もする。
 だけど、それがメインストリームにそのまま推移していくかというと恐らく無理で、そうなっていくとすれば既存組織の崩壊を伴うスクラップ・アンド・ビルドの形でしかありえない。言い換えると今の労働組合組織はそれほどに成熟、あるいは老化・硬直化してしまっていて、自己変革の形で茶番をガチンコに転換することはできないだろう、と私は思います。

 それはグローバル化圧力にさらされている会社組織も同じだけど。

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