« 「責任を取る」ということ | トップページ | 老舗企業の新規事業チャレンジによくあるダメ循環 »

2010年7月31日 (土)

「責任を取る」ということ(続き)

(前の記事はこちら

 というようなところで、そういえば「責任」ってたぶん訳語だよね。英語だとresponsibilityだから、平たく言うと「反応可能性」ということか。それだと別にコスト負担しなくても良さそうな、なんかヌルい感じだなあ・・・と思い始め、もう少し真剣に「責任」について調べてみました。その結果の私の理解。

 責任とは「自分が意図して行動したことの結果として起こった事柄を受け取る」こと。
 「受け取る」という自動詞だとその行動を選び取るみたいだけど、これって自分が行動した以上否応なくこうなっちゃう状態のこと、だと思う。だから「責任」自体には倫理・道徳的な意味づけは特になくって、人が自由意思を持って行動するとそれに伴って必ず発生するものですよ、というのが元の意味なんじゃないかなあ。そもそも自由意思とは?という問い直しはあるかもしれないけどさ。
 おそらく、日本語として使われる「責任」は「主体の自由意思による行動-結果の主体へのフィードバック」という概念と「主体による権利の行使-それに伴って課せられる義務の実行」という概念が二重になっているんだろうと思う。前段で書いたとおり、前者はあくまでメカニズムであり、後者は人間が決めるルールの話である。権利と義務をどう結び付けるかは自明ではないからね。「自己責任」をめぐる議論はつまるところ何が前者で何が後者かの線引き論議で、後者を前者であるかのように言い募ることへの反発が重要なモーメントなんだろう。

 ここで最初の話に戻る。
 菅総理が責任を取るということが、なぜ辞任になるのか。
 実はこれでもまだよくわからない。

 責任を求められる元の「自由意思による行動」がなにかはわかる。民主党代表としての権限を行使して選挙を戦ったことだ。そこでは安定した政権基盤を確立しうる程度の議席数を押さえるのが義務だった。その結果が「敗北」。ふんふん。で、なぜ辞任?
 理屈だけで考えると敗北についてのコスト・・・といったって金を積んで議席を買い戻せるものでもないし、事後的に敗北をリセットできる手段は基本的にない。つまり「取り返しのつかない失敗」なので、できるのは失敗の結果を分析し再発防止策を検討・策定・実行することである。それって別に総理辞任と何の関係もないように思える。
 理屈をいくつか考えてみた。

①敗北の結果、菅さんの能力が十分でないことがわかった。他の人にした方がいいので辞任することにした。
※これだと党の代表を辞める話にはなるけど総理大臣を辞める理屈ではないね。それは別の運用ルールの話か。
②敗北の結果、議席はもう取り返しがつかないこととして、党内の不満・ストレスというコストが蓄積されているので、これを解消するという義務を菅さんは負っている。ついては辞任してみんなに溜飲を下げてもらう。
③敗北という結果の責任を全うすることは菅さんの負担能力を超えているので、能力を超える負債を負った会社が倒産するように退場することにした。
④今や指導力のない菅さんが党の代表という立場にあること自体がリスクでありコストなので、それを排除することにした。

 まあ、実際はそういうリクツではないんだろう。日本語で「責任を取る」というとき、さっき書いた「責任」という言葉の二つの概念の他にもう一つのニュアンスがあって、それは「なにか悪いことが起こったら誰かが代表してコストを負担してみせることで人心一新を図る」というものである。俯瞰的にみると②に近いということになるのかな。「責任」の原義からはずいぶん離れちゃうけどね。政治の世界の責任というのは大体これなんでしょうね。今回もそう。でなければ「誰かが責任を取るべき(MSN産経ニュースhttp://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100721/stt1007212251013-n1.htm)」なんて言い方は出てこない。責任というのは自由意思を持ち行動する主体の存在に伴って生まれるものなので、責任は存在しているのでそれを負う人間を後から探すというのは、政治言語のど素人である私からすればものすごい倒錯に見える。

 と、ここまで考えてやっと「責任を取る」という言葉の意味が私なりに分かった。難しいねえ。独り相撲で勝手に難しくしてるのかな。みんな自然に使っているのは、皮肉ではなくすごいね。

 ところで、どのような考え方にせよ「責任を取る」処理が終わったとして、どのみち「選挙結果分析と再発防止策」は別途必要だと思うんだけど、それはどういった形でやられるのだろうか。まさか誰かが責任を取ってその話は終わったので、なんてウヤムヤになるんではないのか。それは、民主党の今後にとって不幸・・・ではなくって、有権者にとって大問題である。本気で選挙結果分析をしようとすることは「民意」を深く理解しようとすることに他ならないからである。

« 「責任を取る」ということ | トップページ | 老舗企業の新規事業チャレンジによくあるダメ循環 »

考えごと」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「責任を取る」ということ(続き):

« 「責任を取る」ということ | トップページ | 老舗企業の新規事業チャレンジによくあるダメ循環 »

2018年10月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

twitter widget

  • twitter widget

他のアカウント

無料ブログはココログ